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活版印刷と登津山次郎

2015.07.08KYOTO PRESS

幼い頃から、活版印刷現場の横で過ごしました。
活版印刷機のコンプレッサーの音。
現場には、たくさんの活版印刷機が並んで、職人さんが家族のように遊んでくれたのを今も思い出します。

親父はいつも残業ばかりで、幼い時に一緒に遊んでもらった記憶があまりありません。
文選場、植字室、活字の鋳造場、印刷現場がいつも遊び場でした。

インテルと活字を結束する紐で、弓矢を作ってもらったり、インテルで竹とんぼを作ってもらったり、鋳造場で、おたまの中に鉛を流し込み、半球のような形をした文鎮を作ってもらったこと。

休日出勤の日は、工場の横の自宅で職人さんたちと一緒に昼ごはんを食べたこと。
本当に今のことのように思い出します。

 父親の手がいつも真っ黒で、爪の中まで真っ黒。
こんな些細な事が嫌で営業の道に進みました。
スーツを着てみたかっただけかもしれません。

営業の道も、下請けからスタートして、エンドユーザーさんとのお取引も増えだし、順調に売上げや、お客様も増えるのと反比例して私の気持ちは、 商品の品質ではなく、あくまで金額の高い安いでの勝ち負けにこだわり、商品にこだわりのある、自らの会社が主張できることから遠く離れ、印刷への仕事に意義を見出せなくなっておりました。

そして暫く、印刷から離れていました。

あるきっかけで、特殊紙を使った箔押しと印刷のご相談を受け、その商品が出来上がるまでの過程や商品を納めた時のお客様からのお声が嬉しく、やはりこの道へと身を捧げたいと考えているとき、最近の活版印刷を見て懐かしく、やはり血なのか、性格なのか、親父と一緒の職人への道へと少し進んでみたいと思い。

『こだわりのある方に、こだわりのあるモノづくり』をご提供したく、素敵なご縁を頂いている京都伏見で京都活版印刷所をスタートします。


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